明治・大正の海を渡った鎌倉のユリの話(その5)

県立大船フラワーセンター

ユリ球根の輸出は、第2次世界大戦で途絶えました。戦後の昭和20年代に輸出はようやく再開します。以前ほどの勢いはないものの、神奈川県のユリ球根栽培も津久井郡や高座郡(茅ヶ崎周辺)を中心に動き出します。

昭和30年代になると、玉縄の農業試験場は神奈川県立大船フラワーセンターとして、花の展示や輸出園芸の振興のためリニューアルオープンしました。そこでユリの栽培と研究が行われます。輸入球根の導入や華やかな内田カノコへの生産のシフトなど、当時の需要の変化に合わせて神奈川県のユリ生産を支えていこうとした様子がうかがえます。

また、ユリ等日本産の植物のニーズが順調だったため、同園自身によってユリ、菖蒲、つつじなどの花きの輸出も行われました。

内田カノコユリ

上記写真はオープン当初のフラワーセンターのパンフレットから。外国向けのパンフレットは美しい写真入りです。そのなかで内田カノコユリが咲き誇っています。昭和40年代には神奈川県で約100万球の球根が海を渡りました。

順調に見えた戦後のユリ球根輸出の回復でしたが、次第に陰りが見え始めます。県内のユリ生産業者が減少し、さらに1971(昭和46)年のドルショックが追い打ちをかけます。どれほど輸出しても為替差損で「もうからない」状態になり、県内の輸出園芸農家は激減し、ついに同園の輸出自体も終了します。

一方、国内の園芸は根強い人気があります。フラワーセンターでは輸出はやめたものの、その後も地道なユリの研究や育種、栽培は継続されました。山ユリ、カノコユリ、オニユリは園芸種としても人気です。フラワーセンターには非常に珍しい紅筋ヤマユリがあり、現在でも毎年のように咲かせています。

ベニスジヤマユリ
ベニスジヤマユリ

国内市場向けに生産を続ける農家にとっても、同園の種の保全や病害虫対策などの技術や研究は大切だったようです。これらは大船フラワーセンターの鎌倉市関谷の圃場が閉鎖され、同園が日比谷花壇フラワーセンターになるまで続けられました。

ユリ研究のその後

フラワーセンターのユリ研究や育種の技術は終了してしまったのでしょうか?

同園を「卒業」した大石勝彦氏はユリ研究者・育種家として、現在は伊豆で活躍しています。研究の一部は平塚の農業技術センターに引き継がれ、ユリの原種や奇種は平塚の五領ヶ台ガーデンで大切にされているようです。何よりフラワーセンターで、毎年ユリは花を咲かせています。同園のユリは続いているようですよ。

大石氏が研究している貴重なユリの数々は、こちらのウェブサイトで見られます。
「日本のユリ研究所」https://www.nihonnoyurikenkyuujyo.com/

現在の鎌倉に咲くユリさまざま

丈夫でよく増える平地のユリ

我が家の庭のユリはタカサゴユリ(台湾原産)と新テッポウユリの交雑種です。10年ほど前にフラワーセンターの圃場で栽培された新テッポウユリの種が飛んできて、帰化植物のタカサゴユリと交雑したのだと考えられます。

よく目にする街路の緑地帯や誰かの庭、道端といったシティー派の白いユリはほとんどがこれらです。テッポウユリの高貴な白い花にタカサゴユリのツンツンとした細葉が茂ります。種から発芽して1年未満で花をつけ、球根を作らない、暑さにも病気にも強い、南国風のユリです。

ある種と別の種を交配させた最初のものをF1というのだそうです。現在の玉縄のユリは自然な交雑を繰り返してF10ぐらいになっているのでしょうか?

花がきれいで手間いらずで繁殖力も強く、今年はたくさん目にしましたね。「ウチのユリ」なんてスマホで撮って自慢しあったりしました。物によっては花の外側に朱色の縞が入ったり、高さが3メールぐらいになったりで、驚かされますが。

新テッポウユリ
新テッポウユリ(交雑種)
オニユリ
オニユリ

オニユリも、ご近所のちょっとした緑地や庭でよく見られますね。オレンジの花色に黒のぶち、くるんとまいてマリのように反り返って咲きます。どうやら暑さにも強いようで葉と茎の間にムカゴができ、これらで繁殖します。玉縄の地で長らく続いたユリ栽培の忘れ形見というところでしょうか。毎年、元気に咲いてくれます。

今では貴重な山のユリ

それより前の7月に、ご近所の斜面にひっそりと、しかし大きな花で独特の香りを放つ山ユリや、ピンクの可憐なカノコユリが咲きます。

これらのユリは花が付くまで球根が育つのに何年もかかります。北側の明るい斜面を好むため、山に下草が茂りすぎないよう人の手が必要です。誰かに見守られながら自生してきたユリなのです。

斜面のヤマユリ
斜面に咲くヤマユリ
カノコユリ
カノコユリ

ユリは古来より自生し、そのたたずまいは日本のみならず世界に愛されてきました。栽培量が減っても、輸出が途絶えても、ずっと近くに息づいているのです。

私たちのこの国で、神奈川で、鎌倉で。

その美しさには本当に心打たれます。
これからも、続いてほしい風景です。


〈参考文献〉
神奈川県輸出花き球根協会「神奈川県の輸出球根の歩み」1970
神奈川県内務部「神奈川県に於けるゆり根栽培」
神奈川県内務部「海外に於ける本邦輸出植物の商況」
鎌倉近代史資料室「大街堂日記」
鎌倉近代史資料室「大津家日記」
大石勝彦「ユリ」

〈協力〉
鎌倉市玉縄図書館、鎌倉近代史資料室、神奈川県立生命の星・地球博物館、横浜開港資料館
神奈川県立歴史博物館、横浜市中央図書館、日比谷花壇フラワー・センター、横浜植木株式会社、新井清太郎商店、
角田壽久氏、大石勝彦氏、酒瀬川純行氏、平野正裕氏、小林こずえ氏

このお話を書くにあたって、実に多くの方々や書物、資料にお世話になりました。心から感謝します。

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