海を渡った鎌倉のユリ~明治・大正のユリ球根の栽培と輸出~

海を渡った鎌倉のユリ~明治・大正のユリ球根の栽培と輸出~

鎌倉・玉縄地域におけるユリ球根の栽培と輸出の物語。全5回連載。

※鎌倉野菜物語(https://kamakurayasai.com)より移転しました。

ユリの話

明治・大正の海を渡った鎌倉のユリの話(その1)

ヤマユリ ゆり御殿とユリ球根の輸出 鎌倉市玉縄地域にある我が家の庭では、植えてもいないのに、毎年ユリがさきます。 ご近所の立派なお屋敷は、「ゆり御殿」と呼ばれています。ユリ御殿って…ナニ??? 鎌倉に古くから住まいの方から教えていただきまし...
ユリの話

明治・大正の海を渡った鎌倉のユリの話(その2)

キリスト教と白百合 受胎告知 レオナルドダビンチ キリスト教のシンボルで宗教行事を飾る聖なる花、白いユリ。聖母マリアのシンボル「マドンナ・リリー」として熱望されながら、ユリは欧米での栽培には風土的になじまなかったようで、ほとんど自生できませ...
ユリの話

明治・大正の海を渡った鎌倉のユリの話(その3)

ユリ貿易の拡大 明治・大正期の横浜港では、ユリ球根はシルク、お茶に続く輸出品となり、最盛期には4000万箱ものユリ球根が海を渡りました。日本から送った球根は栽培するとちょうどイースターの頃に咲きます。 明治初めころに愛好された山ユリは山採り...
ユリの話

明治・大正の海を渡った鎌倉のユリの話(その4)

玉縄村のユリ栽培 明治45年の書籍「神奈川県に於けるゆり根栽培」には、県内の主なゆり根(ユリ球根)産地として、「鎌倉郡玉縄村」の名前がまず挙げられています。 市内に伝わる数々の農業日記からも、やはり玉縄村、十二所、大船でも 明治20年ごろか...
ユリの話

明治・大正の海を渡った鎌倉のユリの話(その5)

県立大船フラワーセンター ユリ球根の輸出は、第2次世界大戦で途絶えました。戦後の昭和20年代に輸出はようやく再開します。以前ほどの勢いはないものの、神奈川県のユリ球根栽培も津久井郡や高座郡(茅ヶ崎周辺)を中心に動き出します。 昭和30年代に...
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